CINEMA BABY

ベイビーみたいに欲望の赴くまま毎日を真面目に楽しんで過ごすのよ、映画を見ながらね。

『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』愛を、身体を、貪り合った。

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photo from: http://www.glasshousejournal.co.uk/post/girls-on-film-beatrice-dalle-in-betty-blue

 

原題:37°2 le matin ,Betty Blue

監督:ジャン=ジャック・ベネック

脚本:フィリップ・ジャン

   出演者:ベアトリス・ダル

ジャン=ユーグ・アングラード

配給 FOX

公開1987年

製作国 フランス

 

 

この作品は、私にとって思い入れ深く特別な映画のうちの一つ。主演を務めるベアトリス・ダルは、これがなんとデビュー作!彼女、実は『ナイト・オン・ザ・プラネット』で盲目の女性を演じています。

原題は仏語で「37.2度の朝」という意味。

 

この記事では結末を含む『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』の内容について書かれています

 

 

 

ある日、雑用で生計をたててのんびり暮らしている男ゾルグのもとに、ベティという女の子が転がり込んでくることで、物語は始まります。

そこで二人は共に暮らし始めます。毎晩セックスをして、互いの体を貪り合うのです。

このゾルグという男は、周りに住宅地しかないような海辺の土地に住み込んでから、物を書き始めるようになり、手書きの長編大作を部屋の段ボールの奥底に忍ばせていました。

彼は決して自分が作家として成功するという自信が持てず、揺らぐ気持ちを抑えながらも、生計をたてるために雑用の仕事をしている。

そんな彼の気持ちを表すかのように、部屋の隅、積み重なる段ボールの中でも一番下にそれらをしまいこんでいました。

それをある日、ベティが見つけたのです。そしてベティは、彼の小説を読み、彼の才能を信じ、崇拝しはじめました。

 

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photo from:https://kat.cr/37-2-le-matin-1986-bdrip-avc-t11284983.html

 

きっと、ベティは彼女の素晴らしい体しか、自分が何も持ち得ていないことに気がついていたんです。そして自分に“問題”があることにも気づいていました。

だからこそ、自分が持っていないものを持っているゾルグを敬愛したのです。自分をインスパイアしてくれる彼を敬愛し、サポートをすることで、自分の存在意義を見出していたのではないでしょうか。

 

恐らく、この映画の中でベティが唯一幸せを感じていた日々は、ゾルグのハンドライティングの小説をタイプして文字起こししていた時間だったのでしょう。そしてそのミッションが完了した時、彼女にはゾルグが成功するという望み、希望しか残らなかったんです。しかしゾルグにとって、彼女の期待は次作がいっこうに書けない彼を苦しめるプレッシャーとなっていました。

 

彼らが愛を交わしている時、ベティにとってとても重要だったシーンがあります。自分の股間の間に顔を埋めるゾルグを起こし、真剣な眼差しでこう聞くのです。 「私のこと、信じている?」

彼女にとって、“問題”を抱えている自分を愛する人間が、そんな自分を信頼してくれることがいかに重要だったかが伺えます。なので、出版社からのゾルグの小説に対する厳しい返答に対して、自分はゾルグを信じている→ゾルグも自分を信じている→世間はゾルグを信じていない→世間は自分が認めているものを認めない、という思考回路になり、彼女はまた癇癪を起こしてしまったのでしょう。

 

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photo from:http://weheartit.com/entry/141488569

 

さて、このベティという女の子がかなりの問題児なんです。彼女が最初に“キレた”時からそれは物語の端に見え隠れするようになります。

ゾルグの上司に対し怒鳴り、彼の車にピンクのペンキをぶちまける。癇癪を起こすと、とにかく部屋の物にあたり、破壊の限りを尽くす。

 

ある日、ゾルグが近くの家の塗装をしていました。その時はいつもに比べ、やたらベティの癇癪が長く続いたんです。塗装をしている家主の老人が「おい、今度はレコードプレーヤーを投げたぞ。レコードもだ。あんな家政婦はごめんだね」とゾルグに言います。ゾルグはそれに対し、「今日は少し長めだ」なんて悠長に返事をしていました。

様子を見に家に戻ると、コテージで旅に出るかのように大荷物をまとめて火炎瓶を持つベティ。妖艶な笑みを浮かべた次の瞬間、彼女は瓶を家の中に放り投げ、ゾルグの家は炎に包まれたのです。

 

そう、まあ、ベティはちょっとエキセントリックなところがありました。そして、そんな彼女をゆっくりと見守るゾルグは、なんて素敵なんでしょうね。

 

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photo from:http://theredlist.com/wiki-2-24-525-526-657-view-1980s-2-profile-beatrice-dalle.html

その後、友人のツテ続きで市街に出てた二人は、二人なりに楽しく暮らしていました。しかし、街にでてから彼女の奇行は増える一方。

自分が唯一の希望と存在意義を見いだしていたゾルグの小説もボツになり、彼女の精神状態はどんどん悪化の一途を辿っていきます。

そんなある日、またベティにとって幸せが訪れます。彼女が、妊娠をしたんです。ベティはまた、自分の存在意義を見出し、ゾルグも彼女を愛しているからこそ二人の間にできたそれを喜んでいました。「パパになるんだ!」と。

 

しかし幸せも束の間、その妊娠テストが誤っていたことが発覚します。そこからベティは更に気を病んでしまい、ついに自身の目をえぐって自殺を図ろうとします。それがきかっけで、彼女は精神病棟に入院してしまうのです。

 

病棟のベッドに拘束されたベティは、一種のショック状態となっていて何の反応も示しません。そんな彼女を哀れみ、無力な自分を恥じ、一緒に家に連れて帰ってやりたいと項垂れるゾルグ。一人で家に帰ると、出版社から自分の出した小説への契約オファーの電話がきます。彼は嬉しくなってベティに報告をしにいくも、彼女の意識はありません。

そしてその後、薬浸けになった最愛の人に耐えられなくなったゾルグは、ベティをその手で殺めてしまうのでした。

 

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 photo from:http://thefilmexciter.blogspot.jp/2013_11_01_archive.html

 

私は、ゾルグの彼女に対する愛情の深さに驚き、感動を覚え、そしてひどく悲しんだものです。

何故、ベティを殺めたのか。それは彼女がもうショック状態から抜け出せないことを悟ってとった行動なのですが、「本当に愛している。僕らは離れることはない」と涙を流しながら最愛の人の命を自分の手で摘んだ結末が、純粋にひどく悲しかったです。酷い状態になった彼女の人生を終わらせることもまた、ゾルグのひとつの愛の形だったのかもしれませんね。

 

彼はその後部屋に戻り、彼女のために書いているという小説に取り掛かります。飼っている猫を彼女に見立て、まるで彼女に話しかけるように、話しかけるラストシーン。

ベティにとってのミッションは、ゾルグの作家業をサポートすること、彼の子供を産む事、つまりイカれた自分を信じ続け、無償の愛を注ぎ続けた男を幸せにすることでした。

そして彼女を殺めたゾルグにとってのミッションは、彼女のための小説を書き終えることなのです。

 

その“ミッション”が終わったら、自分も消えるつもりなのでしょうか。

映画はそこで終わってしまったので、そこまではわからないけれど。

もう少し頑張れば、ベティはまた幸せになれたのに。

 

難しいですよね、自傷行為に及んでしまう事が自分を愛する相手をも傷つける事だと知っていても、

してしまう、もしくは知っていてわざと愛を確かめるような動機でする人もいるでしょう。

そうなると、愛している側としては酷く辛いんだよ、ってことが俯きかげんのゾルグの顔から読み取れます。

だから絶対にそうしちゃダメなんですよ、うん。

 

まさに共依存であり、愛と激情と官能、幸福と悲劇が描かれたフランス映画である今作。

私にとっては一種の神話的映画となっています。

 

一度でも愛を求めた事があれば、あなたの心に刺さるはず。